家族の反対にあっていた私はなんとかバイクに乗る方法を考え日々紋々と過ごしていたところ、
すっげーバイクが発表されました!!!
RG250Γ
世界で初めて市販車にアルミフレームを採用。
その他もろもろ書ききれないくらいすっげーバイクでした。
よっしゃ、これでサーキット走ろう。
と、行きつけのバイク屋さんで即注文。
登録せずにレーサー仕様(当時のTT-F3)に改造しました。
スガヤのチャンバーとフルカウルでメインジェットを大幅にデカくして走ってみると2ストのドッカン加速が強調され、低速スカスカ、途中からどっかーんと加速してあっという間にレッドゾーン!
と言うめちゃくちゃ乗りにくい特性になりましたが、加速は250ccとは思えないくらい凄く3速までフロントが浮きました。
回転数とギア比、タイヤ外径から計算すると鈴鹿のストレートではちょうど200km/hくらい出ていたことになります。
装備は今は無き名古屋のプロショップ高井で革ツナギをオーダーで作ってもらい、ブーツもグローブも高井製にしました。
鈴鹿のライセンス取って家の軽トラに積んでスポーツ走行に行きました。
バイクは普段バイク屋さんに預かってもらっていたし、
普段の足に家の軽トラを使っていたので家族からは怪しまれませんでした。
初めてサーキットを走った時は緊張のあまりストレートでのどがカラッカラに乾いて2周目でピットに戻ってきてしまいました。
その後も緊張したまま走ってどこをどうやって走ったかほとんど覚えていませんでしたね。
スポーツ走行2回目では大雨の中スリックタイヤしかないのに走ってスプーンでオーバーラン。
今みたいにコースの外が舗装されおらず芝だったのであえなく転倒。
ケガはしなかったけど、ハンドルが曲がってしまいピットに戻れたもののそこで終了。
その次の走行では逆シフトにしてたのにシフトアップのつもりでシフトペダルをかき上げてしまいオーバーレブ。
一気にパワーダウンしてピットに戻ったけど、エンジンが吹けなくなりおしまい。
バイク屋さんに戻って見てもらったらピストンリングが折れていたそうです。
直してもらってまた鈴鹿に行こうとしていたら、どこからバレたか父親がすごい剣幕で怒って軽トラを貸してくれず断念。
その後はトランポが確保できず鈴鹿に行くことができなくなり私のサーキット走行はここで終了となりました。
ガンマではたった3度の走行しかできませんでした。
この件で父親が激怒し、この後30年近くバイクに乗ることなく過ごすことになるのです。
次回につづく。